もう一ヶ月以上前の事になる。
今週末には四十九日を迎える。
いままで書けずにいたけどやっぱり書いておこうと思う。。。
2月9日
父が死んだ。
すい臓がんだった。
去年の9月末頃、たまたま健康診断のCTで発覚。
自覚症状はほとんどなく、ちょっと胃が重いと言っていた。
抗がん治療するもアレルギー反応がひどく本人はもう嫌だと。
姉ともよく話し、別な治療方法、怪しい物も含めて、やってみるが結局効果はなかった。
いろいろ考えて、探して、そして在宅医療の存在を知った。
入院嫌い、自宅大好きの父にはちょうどいいと思った。
この時は、まだこれから長く付き合うものだと思っていた。
今年に入り、まだ父は歩いていた。除雪の手伝いもしてくれた。
それがどうだろ。。。
みるみる弱っていった。
姉と、自分もぶつかった。意見の違い。予想以上に弱っていった。
ゆったりテレビを見れればと思って買ったソファは3日も座ることはなかった。
日に日に弱り、どんどん手がかかるようになった。
そうなると、自分の出番。
ほぼ一日中つきっきりになった。
それでもやりがいはあったし、毎日来てくれる在宅医療のオレンジケアの存在もありがたかった。
先生は父の痛み、つらみをクスリでうまく取り除いてくれた。
そうこうしてるうちに、父は立てなくなった。
簡易トイレも用意したが、使ったのは3日ほどだった。
そして食べることがほぼできなくなった。黄疸もひどかった。
歯が殆どなく総入れ歯だったので余計に食べれなかった。
そんな時に父が気に入ったのはアイスクリームだった。
何かとアイスクリームを欲しがっていた。
最後の味覚だったのだろう。
父は自分の最後をちゃんとわかっていた。
家族、親族らの名前をあげ、すべての人に感謝していた。
ありがとう、ありがとうと何度も言っていた。
自分には、あとは任せた。といっていた。
そして、引きこもっている孫に何かを伝えるべく、立ち上がり最後の意思をつたえていた。
頑張れとは言わず、気楽に生きろと言っていた。
意識が混濁してきていた。
眠るタイミングもバラバラになった。
夜中でも起き、昼間でも寝ていたが、それもほんの2,3日だった。
ずっと起きていて、つらそうになったので、クスリを注射したら1日眠った。
もうこのままかと思ったが、目が覚めた。
立ち上がろうとしたり、でも、横になっても目を見開いたまま、時々呼吸が少し止まり気味で、
何かのタイミングをさぐっているようだった。
2月9日、午前3時半頃
3日前からずっと泊まっていた姉から電話がなった。
父は、呼吸をしていなかった。
オレンジケアの医師を呼び、
そして死亡が確認された。
あまりにも早かった。
もっともっと看病できた。する気でいた。
あと半年は面倒見るものだと思っていた。
在宅医療による緩和ケアのお陰で、父の希望通り、
自宅にて看取ることができた。それは良かったと思う。
しかし、早かった。
ショックは大きかった。
覚悟はしていたとはいえ、それでもやはり大きかった。
今になって、ようやく眠ることができるようになってきた。
それまで、寝ることはできても2時間ほどで目が覚めそれからは眠れなかった。
やっと落ち着いてきたのか?
そうだね。
きっと。
今週末には四十九日法要がある。
一区切りをつけるべきなんだろう。
そうだね。
きっと。。。